2001/10/27更新
この広い日本のどこかに白い麺の炸醤麺があるはずだ。
戦時中多くの日本人が中国大陸へ渡った。戦後帰国した人達の中には餃子とともに
炸醤麺の思い出を持ち帰った人もいたに違いない。そして中には盛岡白龍の高階さんのように、日本人に炸醤麺のおいしさを伝えようとした人もいただろう。
インターネットやテレビで見た情報によると、神戸に「元祖・ぎょうざ苑」という店が
あるらしい。
ここは白い麺を使っているとのことだ。確かめなければ。
中国の友人が日本に来る関係で、大阪に用事が出来た。
大倉山の港北区役所にも行かなければならないので、
ホテルを予約し2日間休暇をとることにした。神戸にも行けるしね。
2001年9月26日、南京町のある元町駅へは夜の開店時間の5時より前に着いた。 南京町は東西約200m、南北約100mとあまり広くない。 中華料理店も30軒ほどしかないようで目的の店はすぐに 見つかった。店先の看板に水餃子は夜のみと書いてある。 水餃子をメインにしていないのか?心細くなったが 店に入る。 |
メニューには焼餃子、水餃子、炸醤麺、炸醤菜と、
それらにご飯が付く定食と湯(スープ)と酒類。
他の客が注文するのを聞くと、略して「めん」と言っている。
従業員は中国人らしい若くて美しい女性が3人。注文を受けると
「ジャージャンミェン」と伝達する。 厨房は店の入り口側の隅にあり、席から作ってるところが丸見え。 生麺ではないうどんとキャベツともやしを一緒に茹でる。 なんか麺が柔らかそう。わざわざ神戸まで来たことを少し後悔し始めた。 でもこれも経験と割り切るしかない。 |
生ビールを飲みながら待っているとまず水餃子が来た。 「酢と醤油で召し上がってください」。 やや小ぶりのこいつを一口で食べる。顔を見合す人もいないので 一人でにやける。もう嬉しくて平静を装うことなど出来ない。 ラーメン屋さんの焼き餃子よりは厚く、他の店の手打ち水餃子ほどはモチモチ感の ないつるんとした触感の皮。野菜に対する豚肉の比率の多いアン。馴染みのない 香辛料も無論ニンニクも入っていない。これはいままで食べたどこの店より我が家の水餃子に似ている。 |
水餃子に感動していると炸醤麺が来た。湯気が上がっている。見た目が中国の北特餃子館や台湾の
麺麺麺とそっくり。台湾のモヤシは東京より細かったが神戸のも細い。
現物を目の前にしても、あまり美味そうではないが・・・。
な、何ということだろう。この懐かしい香り。 食べると頭の中に我が家の台所が浮かんで来る。まさにこの味だ。 味噌の少し焦げた芳ばしさのある後味と、挽肉が粒に分解して歯茎の裏に残る感じ。 これは我が家の炸醤麺そのものではないか。 確かに麺にはコシが無い、キュウリも載っていない。 だがそんな違いなどまったく気にならないほど美味い。 |
ぎょうざ苑よ、感動した、ありがとう。
また必ず年内に食べに行きます。 お代 水餃子380円 炸醤麺500円
住所:兵庫県神戸市中央区栄町通2-8-11
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この店は旧満州(中国東北地方)から昭和26年に帰国した頃末氏が、昭和29年に始めたということである 。盛岡と神戸。こんなに離れた二つの土地で炸醤麺はしっかり生き残っていた。 きっとまだ、どこか私の知らない町でもこんな炸醤麺が愛されてるかもしれない。 ご存知のかたは、是非是非荒川までお知らせ下さい。
今度は昼の部で食ってみたい。10月18日神戸へ向かう。 実は昼には水餃子が食えない。しかし炸醤麺だけでも食いに行く価値がこの店にはある。
今回はカウンターに座る。正面で餃子を作っているのが丸見えである。
パスタマシーンでこねた小麦粉の塊を平たくのばし型で丸く打ち抜いて皮を作る。
残りは塊に戻されマシンへ。無駄が無い。
餃子は直径60センチはあろうかという大きな平鍋で焼く。茹でるよりも一度に大量に
作れて好都合かもしれない。しかし
雑誌の記事によると、開店時、水餃子しか作らなかったのに客の要求でしぶしぶ焼餃子も
作るようになったというではないか。私の隣の客も水餃子を食べたがっていた。日本人客の好みも変化
するものだ。
これからは水餃子の時代?昼メニューに復活を期待したい。 午後大切な用事があるのでビールは我慢しスープを注文。玉子とモヤシが入っていてとろみがある。 値段はたったの80円! |