2002/06/29登録
アメリカ・ウィスコンシン州在住のぴろ中村さんが、サンフランシスコまで調査に行ってくれました。
サンフランシスコの中華街へ行って来ました。全米で最も広く、かつ古いとい う中華街。ゴールドラッシュに伴う移民とともに栄えていったそうです。その 頃の移民というと、広東人が中心だったため、ここの中心言語は広東語です。
写真1 | 写真2 |
ダウンタウンに面した入り口に門構えがあります(写真1)。門は横浜など とは異なり、ここにしかありません。道の表示は英語、中国語の両方です(写 真2)。
写真3 | 写真4 |
マクドナルドではありません、ここでは中国同様「麦当労」なんです (写真3)。アメリカの大銀行さえも中国人にかかればこんなになってしまい ます(写真4)。
写真5 |
観光地にはありがちですが、入り口に近い場所は観光客相手 の店が多いです。奥の方ほど、中国人比率が高くなって、普通の生活の匂いが プンプン漂ってくるようです(写真5)。朝飯時には顕著で、手前の方のレス トランは一切朝食をやっていませんが、奥の方に行くと朝食をやっている店が 結構あります。私は2度も朝粥を食いに行ってしまいました。これは皮蛋痩肉 粥、皮蛋と鶏皮のお粥です(写真6)。爺さん婆さんばかりで、まず外国人に はお目にかかれません。こういった奥の方にまで来ると、周りには中国グロッ セリーがあったり、ニワトリやウズラが活きたまま売られていたり、著作権に 厳しいはずのアメリカなのに海賊版CDとかが当たり前のように売られていた りして、まさに中国そのものです。
写真6 |
それと、驚くべきは英語を話さ(せ?)ない人が結構いるのです。もちろん、 代々そこで生活しているという華人も多く、そういう人は完璧な英語を話しま して、コミュニティの中でも地位が高いそうです。下っ端で働いている人たち は、現在でも香港や広州などからの移民一世、一時的な労働者、あるいは違法 滞在者などとして、流れてきている人のようです。私も何度か広東語で話しか けられ、わからないので英語で返事をすると、理解して貰えないことがありま した。仕方ないので、稚拙な普通語を話すと何とか理解して貰えます。
さて中華街全体を眺めますと、北方菜の店は少ないというか、無いですね。 ただ、ぶらぶら歩きながら店先に貼ってあるメニューを見ていると、炸醤麺を 置いてある店が意外と多いことがわかりました。ほとんどは、ろう麺のカテゴ リーに分類されるか、炸醤ろう麺という名前で売られております。従って、ろ う麺に炸醤をかけたのがサンフランシスコの炸醤麺、ということみたいです。 この点は、自分の住んでいる街で食べたものとも一致しており、ろう麺を使う のがアメリカの一つの傾向なのかもしれません。
写真7 |
上海一品香小館(D. P. D. Restaurant)というところにいってきました(写 真7)。中華街のはずれにある、小さな店です。麺とか小喫が豊富なのは、大 概こういうはずれの小さな店です。ここは上海の看板を掲げながらも、北方菜 の看板も掲げているという、不思議な店です。メニューを見てみますと、南北 混在です。炸醤麺を頼みます。客が私しかおらず静かだったので、醤が炸され ているいい音が聞こえてきます。
写真8 |
できあがりです(写真8)。やはりろう麺の 上に茶色の炸醤がかけられています。炸醤の中に入っているのは、豚肉の小片 とハムでした。ハムは初めてだなぁ。トッピングはキュウリ、キャベツ、ニン ジンでした。キャベツやニンジンも初めてだなあ。
写真9 |
炸醤自体はおいしく、北方 のものに近い味だったのですが、柔らかいろう麺とのコンビネーションはいま いちですね(写真9)。やはり強い味の醤には、こしの強い麺が合うのだと思 います。
写真10 |
(おまけ)中華街というのは、中国と同様やっぱり小汚いところなのですが、 こっちは日本人街で、とてもきれいで、静かです(写真10)。大きさは中華 街の1/10位ですが、いくつかのモールの中に小さなブースがたくさん入っ て、それなりの品揃えです。国民性の違いを感じます。
サンフランシスコは日本レストランも多く、ほとんど日本と同じ味のものを 提供していました。もちろんそれなりに値は張りますが、内陸ではほとんど食 べられない、鰺のたたきとか鯖の塩焼きとか食べたら、涙が出そうになりまし た。中華もいいけど、やっぱり日本食です。
本当に空が青いんですね。
さて「上海一品香小館」ですが、マジソンの「獨一處」や「燕京飯店」と
同ような麺だったのですね。炸醤が北方のものに近い味ということですので、
今回、原色世界炸醤麺図鑑では中国北部式に収録いたしましたが、これからの
調査結果によっては、アメリカ式(美式)として独立させることも考えましょう。